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石原裕次郎の死因?松田聖子・郷ひろみ・妻・子供・兄・身長・墓・若い頃画像

公開日: : 最終更新日:2015/09/20 男性有名人(あ行)

引用元:http://keep.co.jp/img/items/large/12CD1259B.jpg

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石原裕次郎死因何・墓はどこ?!松田聖子郷ひろみとの関係は?妻・子供はいるの?!身長いくつ?石原慎太郎若い頃画像は?

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石原裕次郎のWikipedia風プロフィールはこちら↓↓

本名:石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)

出生地:兵庫県神戸市

身長・体重:178cm・75kg

生年月日:1934年12月28日

没年月日:1987年7月17日(満52歳没)

血液型:A型

高校・大学:慶應義塾高校・慶應義塾大学法学部 中退

愛称:タフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージロー

(2015年9月現在)

言わずと知れた昭和の大俳優・石原裕次郎さん。

平成生まれの若い世代の方には「誰?」でしょうが、昭和世代のおじさま・おばさまにとって彼はヒーローだったんですよ(^^)

筆者も現役の石原さんは存じ上げませんが、彼が亡くなった時、各テレビ局がこぞって葬儀の中継をしていたのを覚えています。

おかげで見たかったアニメが見られずに、子供だった筆者は地団駄踏んでいました(^^;)

個人事務所として石原プロダクション設立した裕次郎さん。

その後、渡哲也さん・舘ひろしさんなどの俳優が所属するようになり、やがて「石原軍団」と呼ばれるようになるんですね〜。

石原軍団名物の「炊き出し」は裕次郎さんが考案したものなんですよ☆

兄は、元東京都知事の石原慎太郎さん。

※石原慎太郎さんの画像は⇨コチラ

甥は、石原良純さんで、よく裕次郎さんのエピソードをバラエティ番組でよく語っていますよね〜(^^)

お正月といえば、芸能人がハワイへ過ごすために空港でインタビューを受ける姿が風物詩となっています。

その芸能人がハワイで過ごす先駆けとなったのが裕次郎さんなんですね〜

当時は海外旅行なんてなかなか庶民にとって敷居が高かったため、裕次郎さんのライフスタイル憧れだったといえます(^^)

まさにザ・芸能人

今回は石原裕次郎さんについてレビューしたいと思います。

不良少年と呼ばれて?!

兵庫県神戸市須磨区で生まれ、父の仕事の都合で北海道小樽市神奈川県逗子市へと移り住みます。

中学校時代はバスケットボールに熱中した裕次郎さん。

長身でスラリと足も長いので、女子にモテたでしょうね(^^)

その後、慶應義塾高校を目指すんですが受験に失敗し、慶應義塾農業高校に籍を置きます。

1951年に慶應義塾高校編入学

卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科内部進学したんですが、放蕩生活に明け暮れる日々を過ごします。

いわゆるひとつの「酒・タバコ・女」でしょうか?!

大学在学中から、俳優を目指し東宝と大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格

ちょうどこの頃、亡くなったショックから自暴自棄になっていた裕次郎さん。

家から金目の物を持ち出しては換金し、その金で銀座などへ繰り出す遊行三昧の日々を送り、兄の慎太郎さんから心配されました。

そんな中、1956年に映画プロデューサー水の江瀧子さんと兄・慎太郎さんの推薦で、慎太郎さんの芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役映画デビューを果たします。

映画化を切望していた日活が、作者の慎太郎さんに打診したところ、弟を出演させる条件を提示して、それを飲んだ形です。

お兄ちゃんの口添えがなかったらどうなっていたことやら(^^;)

脇役でしたが主演格に匹敵するダイナミックな存在感で注目されることとなりました☆

その後、慶応義塾大学を中退して日活に入社します。

『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎さん原作の映画化作品『狂った果実』では、主演を果たします

その後は主演映画が連続ヒットし、瞬く間に昭和を代表する日本最高のスターの一人となりました。

若い頃の裕次郎さんの画像は⇨コチラ

素敵〜☆

1963年には日活から独立して、個人事務所・石原プロモーションを設立。

1970年代以降は映画から離れて、『太陽にほえろ!』・『大都会』などテレビドラマで活躍しました。

一般家庭へテレビが普及したことにより、映画業界もやがて衰退を迎えることとなります。

俳優業だけでなく、「銀座の恋の物語」・「二人の世界」・「夜霧よ今夜も有難う」などの数々のヒット曲がある裕次郎さん。

意外にも『紅白歌合戦』には応援ゲストとして出演したことはあるものの、歌手としては生涯出場しませんでした

「歌は素人

という理由で毎年、歌手としての出場を辞退していたといわれています。

あくまで”俳優”としてのスタンスを崩さない裕次郎さんも分かりますが(^^;)

NHKももっと粘って交渉して欲しかったですね〜(^^)

妻・子供は?

石原まき子さん。

※石原まき子さんの画像は⇨コチラ

現在、石原プロの会長をしています。

1933年7月生まれで、裕次郎さんより一つ年上なんですね(@_@)

かつて北原三枝(きたはらみえ)の名で活躍をしていた売れっ子女優でした。

※北原三枝時代の画像は⇨コチラ

美しいですね〜女優・尾野真千子さんに似てる??

もともと北原さんのファンだった裕次郎さん。

デビュー作『狂った果実』で初共演を果たします。

これが運命の出会いだったわけですね〜(^^)

これ以後お二人は、「日活のドル箱コンビ」として23作もの共演作が制作されました。

こんなに数多く共演してりゃ、こりゃ〜恋仲になるのも無理は無いですね(^o^)

1960年に裕次郎さんとの結婚により、北原さんは女優業を引退します。

当時をまき子夫人が語っていました。

「私たちの時の芸能活動なんて、本当に会社中心だった。まず商業ベースがあって、それに乗せられて俳優も動く。

私たちの意見というのは、ほんの何分の一しか通らない。

だから結婚も恋愛も自由にできない。

そんな時代でした。

まず好きな時に2人でなんて会えない。

だから本当に貴重な時間を、大事に大事にした覚えがあります。

古い表現ですけど、苦労しながら「愛情を育む」ということを本当にしてきたと思います。」

現代では俳優と女優の結婚なんて当たり前ですが、当時スター同士の結婚はタブーとされていました。

あまりにも外野がうるさいため、二人は一時期アメリカへの逃避行をするんですね〜。

結局は周りに説得される形で帰国をしますが、二人の執念?に折れて結婚を事務所から許されることになるんですね。

ところで裕次郎Jr.はいらっしゃるのでしょうか?

気になるところですが、二人の間に子供はいません

その理由はいろいろと言われています。

「裕次郎が足を複雑骨折した際、手術を迫られた。しかし、裕次郎は俳優として体にメスを入れるのを拒んだため、外部から牽引して治療することになった。この治療法では、骨が付いているかを確認するため、連日レントゲンを撮り続けなければならなかった。この際の放射能の影響で子どもができなくなったのではないか。」

以上のような内容を、兄の慎太郎氏がテレビのインタビューで答えていたそうです。

もう一つ、裕次郎さんは「梅毒」に罹っていたから子供ができなかったのでは?という説もあります。

どんな病気でしょうか?

「梅毒は、スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマによって発生する感染症、性病。 第一感染経路は性行為であるが、妊娠中、出生時の母子感染による先天性梅毒もある。」

裕次郎さんが、兄・慎太郎さんの三男石原宏高さんを養子にしたがっていたとも言われ、子供を欲しがっていたことが伺えますね。

跡取りがいないのは残念ですが、こればかりは仕方がありませんね。

松田聖子との関係

石原裕次郎さんと松田聖子さんは愛人だった」というがネット上でまことしやかに流れています。

※松田聖子さんの画像は⇨コチラ

松田聖子さんといえば、郷ひろみさんと交際→涙の別れを経て、石原プロ所属の神田正輝さんと結婚(やがて離婚)しましたよね?

※郷ひろみさんの画像は⇨コチラ

※神田正輝さんの画像は⇨コチラ

二人の結婚は「聖輝の結婚」と言われ、披露宴の模様がテレビ中継されましたよね〜。

松田聖子愛人説を唱えている文を抜粋してみますと

娘さんの沙也加さんは 元旦那の神田正輝さんの子供ではなく、故石原裕次郎さんの娘という噂も聞いたそうです。

結局替え玉で神田さんが旦那になったとか・・・。

噂ですよ、うわさ。

別れたかったんだけど、どうにもならなかったので、神田さんに映画を作るというお膳立てをしてあげて結婚のきっかけにしたらしい。

そして、その神田さんは当時、事務所の屋上から衝撃の飛び降り自殺を図ったアイドル故岡田有希子さんとつきあっていたのですが、結局石原裕次郎には逆らえずいわれるがままに結婚をしたので、ああいう不幸な結果になってしまったのです。

そして、そこでも故石原裕次郎さんは、その当時マスコミを賑わした俳優・峰岸徹さんを彼女の自殺の原因としてあてがったということらしいです」

上記の話が真実だったら、裕次郎さんめっちゃ悪いやつやん?!

ちなみに、聖子さんと神田さんの仲人を務めたのが、裕次郎さんなんです。

普通、愛人の仲人します〜?

しかも聖子さんの娘・神田沙也加さんが裕次郎さんの子供ですって?!

※神田沙也加さんの画像は→コチラ

いやいやいや!完全に神田正輝さんに似ていると思いますよ!

裕次郎さんの面影全くナッシングです(><)

そして文中にある岡田有希子さんですが、当時の人気は凄まじく、”ポスト松田聖子”とも言われていました。

※岡田有希子さんの画像は⇨コチラ

彼女の死後、後を追うファンの方が絶えず社会問題に発展するほどの波紋を広げました。

岡田さんの所属事務所社長によると、彼女が残していた1冊の日記風のノートに峰岸さんへの想い・成就することのない苦しみが綴られていたそうです。

※峰岸徹さんの画像は⇨コチラ

2008年には峰岸さんが肺がんにより65歳で死去しました。

まさに死人に口無し真相は藪の中となりました。

こうして見てみると、石原裕次郎陰謀説はデマじゃないかと思いますが、皆さんはどう思われましたか??

死因は何だった?

生涯、怪我・病気が絶えなかった裕次郎さん。

学生の頃から、打撲や骨折を幾度となく経験してきました。

亡くなる10年ほど前からは、体調不良で入退院を繰り返すことになります。

1978年に、舌下潰瘍のため入院・手術を行います。

その後悪性腫瘍(舌癌)との診断を受けたのですが、裕次郎さん本人には告知されなかったそうです(やがて1983年再発)。

1979年には舌下白板症と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術して退院

1981年には、『西部警察』のロケ撮影中に、背中と胸に激痛が走り慶應義塾大学病院に緊急入院します。

当初は「椎間板ヘルニア」と疑われたのですが、その後「解離性大動脈瘤」と診断され、大手術を決行します。

この病気でC-C-Bの渡辺英樹さんがお亡くなりになられたのは、皆さんの記憶に新しいのではないでしょうか?

※渡辺英樹さんの記事は⇨コチラ

生還率3%と言われるこの病。

しかし手術後、裕次郎さんは奇跡的な回復を遂げ無事退院を果たします!

見舞い客は1万2,000人、手紙5,000通、花束2,000束、千羽鶴1,000束、さらには裕次郎さんの車のボディーにも励ましのメッセージを書く人いたそうです。

全国のファンの応援のおかげですね(^^)

しかし退院後も首、腰の痛み、発熱が続いたと言われます。

1984年には肝臓癌が発覚し、倦怠感・腰痛の末、原因不明の発熱にいたるのです。

1986年5月、高熱が続くため慶應義塾大学病院に入院

血圧降下剤の副作用による肝内胆管炎と診断されます。

7月に退院後は静養ためハワイに出国します。

1987年4月にハワイから帰国直後に慶應義塾大学病院へ検査入院します。

5月に一旦退院したものの、間もなくして再入院

しかし容態が悪化して、ついには幻覚症状(肝性脳症)を発するようになります。

そして7月17日、肝細胞癌のため死去

享年52歳。

正式な死因をまとめますと、食道静脈瘤C型肝炎に感染して肝硬変、肝臓がんとなり、食道の静脈が風船のようになって破裂出血死したとされています。

入退院を繰り返し、体調不良を押しながらテレビドラマの出演をなさっていたのですね。

まさにプロ!頭の下がる思いです・・・。

お墓は?

裕次郎さんの眠るお墓の場所横浜市にある「曹洞宗大本山総持寺」というお寺です。

あまりにも広大な墓地のため、入口にあるお地蔵さまの横には「石原裕次郎氏の墓処」の案内板が立てられています。

初めて参拝するファンの方は安心ですね(^^)。

実際に裕次郎さんのお墓へ参拝しに行った方によると・・・

墓処の門石柱には「裕次郎」と彫られ、御影石の立派な五輪塔にも凡字の下に「石原裕次郎」と彫られている。墓処の石段横には灰皿が置かれおり、愛煙家だった裕次郎さんのファンや石原軍団にも喫煙者が多いのだろう。

※石原裕次郎さんのお墓の画像は⇨コチラ

立派なお墓ですね、すぐに裕次郎さんのお墓だってわかりますね!

毎年、裕次郎さんの命日には、まき子夫人と石原軍団のメンバーが集まって、参拝する模様がメディアに伝えられています。

そのたびに「ああ、亡くなってからもうそんなに経つのか」と、時の早さを感じます。

墓碑には妻・まき子さんの直筆で次のような言葉で綴られています。

「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」

もっと裕次郎さんの活躍を見ていたかったですね。

最後に

気遣いのできる優しい性格と豪快な人柄から、石原プロ所属の俳優のみならず、他の芸能人たちからも慕われていた裕次郎さん。

困っていることがあると自ら率先して動くタイプで、

「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」

というポリシーを持っていたそうです。

こういった破天荒で男気溢れるスターってもう出てこないのでしょうか?

まき子夫人は

「裕さんが亡くなって、もう30年ほどですけど、今でもそこら辺を歩いているようで。(中略)だから今も、たまたま仕事でいないんだなという感覚に近いんですよね。」

お墓の前に腰掛けて「よう!」 って手を上げて微笑む裕次郎さんの姿が目に浮かびます(^^)

今後、石原プロの俳優さんたちには、裕次郎さんの遺志を受け継いでいただきたいと思います!

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まだまだ出てくるウラ話!

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