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湯木佐知子(ささやき女将)のその後!現在と今・船場吉兆・wiki・経歴・画像

公開日: : 最終更新日:2015/12/25 女性有名人(や行)

引用元:http://livedoor.blogimg.jp/berryscorp/imgs/7/c/7c3a0e9e.jpg

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船場吉兆湯木佐知子(ささやき女将)のその後現在今はwiki経歴はあるの?!画像

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湯木佐知子のWikipedia風プロフィールはこちら↓↓

本名:湯木 佐知子(ゆき さちこ)

出身地:大阪府

誕生日:1937年(月日は不明)

年齢:78歳

大学:甲南大学経済学部

(2015年8月現在)

2015年8月放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)では、「世間を騒がせたニュース・人の今を調べるSP第2弾」が放送されます。

その中で、食品偽装をした老舗料亭「船場吉兆(せんばきっちょう)」の”ささやき女将”こと湯木佐知子さんは、今何をしているのか取り上げるそうです!

みなさん覚えてますか〜?^^;

食品偽装って毎年どこかの企業が起こしていますよね・・何でなくならないんだろ(~o~)

彼女や事件について知らない方もいらっしゃると思うので、今回は湯木佐知子さんと船場吉兆についてレビューさせていただきます。

ご存知の方も、当時を振り返るような感じで読んでいただければ幸いです(^^)

吉兆とは?

1930年に神戸の料理屋の跡取りだった湯木貞一氏(1901~1997)が、大阪市内にて「吉兆」を創業しました。

※湯木貞一氏の画像は⇨コチラ

貞一氏は茶道に関する知識が深く、料理に茶懐石の手法などを用いて高い評価を受けました。

それが縁で、『暮しの手帖』の連載を受け持つことになります。

それがきっかけで一般にも吉兆の名が浸透するんです。

1979年・1986年・1993年の東京サミットでは、他の有名料亭を差し置いて日本料理担当に選ばれます。

ついには世界的に知られる存在にまでなりました(`o`)

開店当初は客が一人も入らなかった小料理屋が、高級料亭の地位にまで上り詰めたのは、創業者の貞一氏の才能のおかげだとも言われています。

やがて大阪・京都・神戸・東京などで多店舗展開を進めていきます。

1991年には、創業者の貞一氏の息子や料理人である娘婿たちをのれん分けの形で独立させます。

  • 本吉兆:長男・湯木敏夫
  • 東京吉兆:長女の娘婿・湯木昭二朗
  • 京都吉兆:次女の娘婿・徳岡孝二
  • 船場吉兆:三女(湯木佐知子)の娘婿・湯木正徳
  • 神戸吉兆:四女の婿・湯木喜和

吉兆グループとしてグループ会社制にしたんですねぇ。

政財界有力者や外国要人の接待で利用されることが多く、2013年に京都吉兆は人気ウェブサイト「デーリー・ミール」によって「世界で最も高価なレストラン」に選ばれました。

京都吉兆の1人当たりの予算は約600ドル

1ドル121円とすると日本円で約72,650円

庶民にとって敷居が高い店ですね(^^;)

船場吉兆の不祥事

大阪市に店を構える船場吉兆は、福岡市に博多店を開店して九州進出を果たします。

また、大阪の阪急百貨店や福岡の博多大丸と提携して、吉兆ブランド商品を販売するなど多角化を進めてきました。

順風満帆に思えた2007年、賞味期限切れ産地偽装問題発覚してしまいます。

そうして全店舗で営業休止に追い込まれるのです。

翌2008年1月に民事再生法の適用経営陣刷新(正徳社長をはじめとする佐知子新社長を除く幹部の退任)を行った上で営業を再開しました。

しかし2008年5月、客の食べ残し料理の使い回しが発覚。

しかも10年以上も前から行っていたというのです(><)

「天ぷら」は揚げ直して出すこともあり、「アユの塩焼き」は焼き直し、「アユのおどり揚げ」は二度揚げしていたそうです。

わさびは、形が崩れて下げられてきたものをわさび醤油として出し直し、刺し身は盛り直していました。

刺し身のツマはパート従業員が洗ってリユース

これだけ聞くとげんなりしますよね・・。

高いお金払って食べに来ているのに、他の客の残したものを口にしていたのかと思うとぞっとしますね(`へ`)

このような一連の「使い回し」は従業員だけの一存ではなく、当時の湯木正徳前社長の指示で2007年の営業休止まで常態化していたと言われています。

※湯木正徳氏の画像は⇨コチラ

これが追い討ちとなり、予約のキャンセルが相次ぎ、客が発覚前の半分、末期には3分の1程度に減少します。

資金繰りに窮した船場吉兆は、グループ内外の支援を受けることもできず(><)

まさに四面楚歌!

2008年5月に、大阪市保健所へ飲食店の廃業届を提出しました。

同年6月には破産手続き開始を決定します。

当初こういった一連の偽装

「パートの女性らの独断によるもの」

としていた船場吉兆。

弱い立場のパートさんに罪をなすりつけるなんて往生際悪すぎですね!

のちに会見で経営陣の関与を認めましたが、腐った企業体質が露呈した感じですね(~_~)

”ささやき女将”の誕生!

2007年12月に佐知子さんと長男で専務の喜久郎氏で、釈明会見に臨みました。

※会見の画像は⇨コチラ

しかしマスコミからの厳しい質問に、喜久郎氏は言葉に詰まってしまうんです(`へ`)

息子が窮地に立たされているのに耐えられなくなったのか、佐知子さんは小声

「頭が真っ白になった…、頭が真っ白になって…、頭が真っ白になって…(と言いなさい)」

「知らんと言え…」

など返答内容を指示し、喜久郎氏がそのまま発言するという一連の言動がマイクに全て拾われるという事態に(`o`)

神妙になるはずの記者会見が、失笑を招いてしまいます。

ワイドショーなどではこうした女将と専務のやり取りを

腹話術みたいだ」

と揶揄されました。

多くのテレビや雑誌などのメディアはこぞって佐知子さんの事を「ささやき女将」と称しました。

2008年1月に発表された、東京スポーツ主催の「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」において特別賞を受賞した佐知子さん。

しかし担当弁護士を通じて受賞を辞退しています(^^;)

ビートたけしさんは

「アレ(ささやき)はコントだよなぁ。

あれホントにやられたら絶対かなわないもの」

高く評価していました(あくまでお笑いとしてね)。

 

その後

廃業した船場吉兆。

残っていた従業員は全員解雇、湯木正徳&佐知子夫妻は自己破産しました。

吉兆グループの本吉兆では、前年度に比べ客が半減するなど、グループ各社は深刻なダメージを受けました。

それぞれ独立した会社とはいえ、それは内部の都合。

他所から見れば吉兆全体の責任だという見方をする人もいると思います。

2013年には京都吉兆が、ローストビーフを食品衛生法で認められていない結着剤でブロック肉を成型したものであったことが発覚!

商品を自主回収する事態となりました。

船場吉兆以外は存在していますが、各社の中で撤退した店舗も幾つかあるため、「吉兆」全体のブランドイメージを損ねてしまったのは間違いないでしょう(><)

 

その後の佐知子さんは、2014年時点で吉兆グループの持ち株会社である、株式会社吉兆の役員を務めています。

当時、同店の取締役だった次男尚治氏は、2011年に「湯木」という料亭を開業し、大阪の北新地に2店舗展開しています。

 

※湯木尚治氏の画像は⇨コチラ

 

佐知子さんも裏でささやきながらサポートしているのでしょうか(^^;)

2014年に客に扮した記者が「湯木」に潜入

「あの女将さんも(店に)出てるの?」

と尋ねると、

「ええと、たまに……」

と、要領を得ない返答

そこで、尚治氏に

「お母様は元気ですか?」

単刀直入に聞きます。

「はい、元気ですよ。

でも、母は一切答えないようにしているんです。

もう商売もしておりませんから」

佐知子さんはお店のアドバイスをしているのかという質問には

「今はそういうことはしておりませんので。

他の人を取り上げられたほうがいいと思いますよ……」

終始丁寧な口調ながら、母の関与を頑なに否定する尚治氏でした(*_*)

大阪の飲食店関係者によると

「船場吉兆時代のお客さんが戻ってきているのは、先代女将の口添えもあると思う」

との声も。

 

ささやき女将は健在のようです!

 

最後に

人の口に入れるものの信頼を一度損なったら再建は容易ではないでしょう。

当時は吉兆の同族への甘やかし体制が当時ずいぶん批判されましたが、もしかしたら氷山の一角なのかもしれません。

吉兆の一連の騒動は他の食品を扱う会社にとって引き締めにもなったのでは?

ささやき女将の佐知子さんも現在78歳とご高齢ですし、本来ならば静かに余生を過ごしたい所でしょうが、息子さんのお店が気になるようですね。

先代の貞一氏が生きていたらどうしていたでしょうか。

草葉の陰で泣いているのかも?!

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まだまだ出てくるウラ話!

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