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柳生博の八ヶ岳倶楽部は?息子・長男・柳生一族・次男・家族・妻・真吾・画像

公開日: : 最終更新日:2015/11/04 男性有名人(や行)

引用元:http://watashinomori.jp/go/img/i_go_img_itv_ygh_02-1.jpg

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柳生博八ヶ岳倶楽部が存続危機?!息子・長男・真吾さんの死!次男・家族・妻画像は?柳生一族とのつながり!

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柳生博のWikipedia風プロフィールはこちら↓↓

本名:柳生 博(やぎゅう ひろし)

出身地:茨城県

身長・体重:175cm・65kg

誕生日:1937年1月7日

年齢:78歳

血液型:O型

高校・大学:茨城県立土浦第一高校・東京商船大学 中退

(2015年9月現在)

日本の俳優、司会者、タレントの柳生博さん。

作庭家(庭師)として活動もあるほか、公益財団法人・日本野鳥の会会長やコウノトリファンクラブ会長も務めていらっしゃいます。

コウノトリファンクラブという団体があるのに筆者驚き(@_@)

1989年には、山梨県大泉村西井出・西沢の森に、ギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を開設しました。

ここでは、陶芸家を初めとしたアーティストの作品の展示販売が常時行われています。

八ヶ岳といえばココというくらい有名なスポットで、これからは紅葉の時期に入るため、大勢の観光客の方がいらっしゃることでしょうね(^^)

2015年9月に放送される『爆報!THEフライデー』(TBS)では、八ヶ岳の森に緊急事態が起こっているそうです!

今夏は自然が猛威を振るい、野菜も育たず値段が高騰して…農家の方・家庭にとっては大打撃で筆者もやりくりに腐心しています(><)

柳生さんの森は果たして無事なのでしょうか?

今回は柳生さんについてレビューしたいと思います。

船長を目指していた?!

柳生さんは当初、船長を目指して東京商船大学(現在:東京海洋大学)に入学をします。

しかし視力が悪くてその道を断念(><)

家族の反対を押し切って、役者を目指すべく劇団俳優座の養成所へ入ります。

劇団俳優座は、日本を代表する劇団の一つですね(^^)

かつて山崎努さん・宇津井健さん・大山のぶ代さんなどが在籍していました。

他にも多くの俳優を輩出しています。

柳生さんは39歳のとき、NHKの朝の連続テレビ小説『いちばん星』に野口雨情役で出演し、テレビ俳優としての地位を確立します。

遅咲きですね(`o`)

その傍ら、クイズ番組『100万円クイズハンター』(テレビ朝日)の司会を1981年から1993年までの12年間に渡り務めました。

ハンターチャンス」の決め台詞などで幅広い世代に認知されるようになるんですね〜。

また、タレントとしてクイズ番組『平成教育委員会』(フジテレビ)の解答者やドキュメンタリー番組『生きもの地球紀行』(NHK)のナレーションを長く担当しました。

他にも数々の洋画の吹き替えをされ、声優としても活動しています。

先祖は柳生一族!

柳生新陰流』で知られる柳生宗厳(むねよし/むねとし)の末裔にあたる柳生家。

宗厳さんは、戦国時代から江戸時代初期にかけて、徳川家に剣術指南役を請われた方なんです!

有名な柳生十兵衛は、宗厳の孫に当たります。

よく時代劇やアニメキャラとして登場しますよね(^^)

奈良県にある天石立神社では、 宗厳が切断したと伝わる一刀石があります。

歴史好きの筆者としてはぜひとも訪れてみたいものです。

家族は?

二階堂有希子さん。

かつてアニメ『ルパン三世』の初代・峰不二子の声を務めていた方です!

※二階堂有希子さんの画像は⇨コチラ

洋画の吹き替えも担当し、声優としてだけでなく女優として、ドラマや映画出演もしたことがある方なんですね〜。

有希子さんも、八ヶ岳倶楽部のお手伝いをしていて、レストラン名物のフルーツティーは彼女の考案だそうです(^o^)

奥様との間には2人のお子さんがいらっしゃいます。

長男は園芸家の柳生真吾(2015年5月2日死去)さん。

※柳生真吾さんの画像は⇨コチラ

真吾さんについては後述させていただきます。

次男宗助さんは、レストラン八ヶ岳倶楽部の店長を務めています。

※柳生宗助さんの画像は⇨コチラ

焼きたてパンの画像をSNSに投稿すると、「美味しそう」との声がたくさん挙がっていたそうです♪

料理が得意なんですね(^^)

野良仕事で八ヶ岳倶楽部を作った!

1970年代、年間600本ものテレビの仕事で多忙を極めていた柳生さん。

柳生さん自身だけでなく家族もバランスを崩し、家庭崩壊の危機となります。

そんなときに

「そうだ!野良仕事をしよう」

と思い立つのです。

自然に帰るということかしら?

柳生家のしきたりで、

「男子は12歳になったら一人旅をさせる」

というものに基づき、13歳の頃八ヶ岳一人旅をした柳生さん。

そこでの体験が深く心に残って、家族で移住をする決心をするのです。

移住した山梨県大泉村(現・北杜市大泉町)の雑木林に居を構えようと足を踏み入れると、そこは荒れ果てた森

近隣の手入れの不十分な人工林から貰い受けた各種の樹木を、植林し再生をしていくのです。

その数は柳生さんによれば、あわせて一万本以上になるそうです。

ひたすら野良仕事に打ち込む日々に呼応するかのごとく、森が息を吹き返していきます。

ところが、柳生さんの森を見学する人が増え、野良仕事どころではなくなってしまうんです。

そして森の一部を、誰が来てもいいパブリックスペース「八ヶ岳倶楽部」を公開することとなるんですね〜

30年もの年月をかけて育て上げられた雑木林は、現在多くの人で賑わいを見せています。

時間があるときには柳生さん自ら八ヶ岳倶楽部のレストランに顔を出し、談笑する姿が見られるそうです(^^)

命の洗濯に一度は訪れてみたい場所ですね☆

息子の死

長男で、園芸家の柳生真吾(しんご)さんが、2015年5月2日、咽頭がんのため甲府市内の病院で死去しました。

享年47歳。

あまりにも早すぎる死でした。

真吾さんは2000年から8年間、NHKの園芸番組『趣味の園芸』の進行役を務めたことでも知られていました。

筆者も拝見したことがあります。

真吾さんが「米のとぎ汁は、草木が呼吸できなくなるのでまかないで〜」というアドバイスをテレビでなさって、すぐにやめました!

園芸に関する知識を分かりやすく解説してくださって、勉強になりました。

「八ケ岳俱楽部」のオーナー・園芸家として活動していた真吾さん。

関係者によると、30代後半にがんを患い、治療と並行して仕事を継続していたそうです。

約10年も闘病されていたんですね…。

真吾さんはある日、体の異変に気付いて最初はポリープだと思っていました。

しかし検査の結果「咽頭がん」と診断され、それからはがんの痛みとの日々。

それでも真吾さんは痛い顔を見せず、常に笑顔で過ごしていたと言います。

柳生さんはじめ家族は、そんな真吾さんを見るのはかえって辛かったそうです。

咽頭がんは「気がつきにくいがん」の一つとされていて、自覚症状を持った頃にはすでに手遅れになっていることが多いと言われています。

真吾さんも気づいたときにはもう手遅れだったのでしょうか…。

新盆の供養を終えたばかりの8月中旬、女性週刊誌の取材に父・柳生さんは

「正直、まだ立ち直ってはいないんだよ。でもこの場所だからこそ、なんとかやっていけてるんだ。都会にいたら参っていたかもしれない…」

早すぎた息子の死を遠い目でそう語りました。

 「ぼくがこの地の開拓を始めたのはもう30年も前のこと。真吾はまだ高校生でした。当時は放置されたままの人工林で、光がまったく入らず荒れ放題になっていた。真吾と一緒に、その木を切ってもともと八ヶ岳に生えていた落葉樹を植えて、自然の雑木林に戻したんです。ここから見えている木々の3分の1は、真吾が植えたものなんだよ…」

息子と二人三脚で森を再生してきた柳生さん。

相棒”を亡くされ悲しみはいかばかりかと思います。

真吾さんはこの地と家族の住む東京の自宅を往復する生活を送っていたそうです。

「真吾が嫁と知り合い、結婚したのもこの場所ですからね…。残された4人の孫も、休みのたびにこっちに来て“じーじ”って言いながら一緒に野良仕事を手伝ってくれています。本当にかわいくってね。ここは息子が大切にしてきた地だから。守り続けていかないといけないんです」

現在は次男宗助さんやスタッフらとともに「八ヶ岳倶楽部」を経営し、森林の発展活動に引き続き従事していくそうです。

無責任な言い方かもしれませんが、真吾さんのためにも「八ヶ岳倶楽部」は是非とも存続させていただきたいです。

最後に

これからも柳生さんは奥様と八ヶ岳に住み続けるそうです。

「家内とは毎日一緒に散歩して、鳥の声を聞いては“あれはキビタキだ!”とかおしゃべりしています。野良仕事をしている時はお茶を持ってきてくれたり、一緒にお弁当を食べたり…。ありがとうの一言だね」

小鳥のさえずりが聞ける・散歩ができる…日々何気ない日常に感謝ですね。

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まだまだ出てくるウラ話!

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