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東八郎の死因はポン中?画像・子供・東貴博・妻・バカ殿・ギャグ・金持ち・資産

公開日: : 最終更新日:2015/11/07 男性有名人(あ行)

引用元:http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E6%9D%B1%E5%85%AB%E9%83%8E#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0

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東八郎死因ポン中だった?子供東貴博は?バカ殿に出演!金持ち資産はいくら?画像

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東八郎のWikipedia風プロフィールはこちら↓↓

本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)

出身地:東京都台東区浅草

身長・体重:不明

生年月日:1936年5月31日

没年月日:1988年7月6日(満52歳没)

(2015年11月現在)

昭和を代表するコメディアン・東八郎(あずま はちろう)さん。

息子さんは東MAX(アズマックス)こと・東貴博さんっていうのは有名ですよね(^^)

※東貴博さんの画像は⇨コチラ

あえて「七光り」を売りにして、お坊ちゃまキャラで一万円札などで汗や涙を拭くという定番のギャグを持っています(^^)

2015年11月放送の『ファミリーヒストリー』(NHK)では、父・八郎さんのルーツを東MAXさんがたどるそうです。

これは見逃せませんね!

今回は、東八郎さんについてレビューしたいと思います。

欽ちゃんが弟子!

中学卒業後、コメディアンを志して、歌手・田谷力三さんに弟子入りします。

そして、浅草公園六区の浅草フランス座などで活躍します。

この頃のフランス座には、渥美清さんや伊東四朗さんなど、後に有名になったコメディアンたちが出演していました(^^)

東八郎」の芸名は、フランス座を経営する東洋興業創業者の松倉宇七氏にちなんだものと言われています。

しかしテレビの台頭と共に浅草の演劇街が衰退してきたため、1964年に小島三児さん、原田健二さん(画像見当たらず)と共に「トリオ・ザ・スカイライン」を結成します。

こうしてテレビに進出を果たして、コントで人気を博しました。

1971年にトリオを解散して、以降は単独で芸能活動を行います。

三波伸介さんとともに、『お笑いオンステージ』(NHK)にレギュラー出演し、全国区の有名なコメディアンとなりました。

※三波伸介さんの画像は⇨コチラ

その後、東八郎劇団を結成して後進の育成にも力を注ぎ、全国各地で喜劇を演じていました。

晩年では、志村けんさん主演の『バカ殿様』の家老役を務めました。

※志村けんさんの画像は⇨コチラ

家老役といえば、マーシー田代まさしさん)か桑マン桑野信義さん)だと思っていたのでこれには驚きました!

ちなみに、欽ちゃんこと萩本欽一さんは八郎さんの一番弟子です。

※萩本欽一さんの画像は⇨コチラ

当時、浅草の芸人の修業というのは、ものすごく厳しく、先輩に殴られたりするのはしょっちゅうな世界。

しかし、師匠・八郎さんは絶対に欽ちゃんを怒ったり殴りしませんでした

欽ちゃんが何故怒らないのか聞くと、返ってきた言葉は

「オレはな、欽坊くらいの時には、毎日、先輩から殴られたり、怒られたりした。

そうやって教えるのが、浅草の伝統だ

って言われた。

でもなぁ、欽坊。オレは違うと思うんだ。

先輩に殴られながら、

『オレは先輩という立場になっても、絶対に若い人たちを殴らないぞ!

そう決心したんだよ。

殴るのって嫌だし、殴られるほうも嫌だもんなぁ」

深イィィ〜

そんな名言を残した八郎さん。

人気コメディアンとしてテレビや舞台を数多くこなし、1981年には『娘へのバラード』などの歌も披露していました。

この曲は、結婚披露宴で歌われる定番曲のひとつとして広く知られています。

八郎さんの持ちネタに、

「頑張れ、強いぞ、僕らのなまか〜」

があります。

これは『赤胴鈴之助』のテーマ曲の替え歌で、「仲間」が訛って「なまか」となったものです。

「なまか」は後に、ドラマ『西遊記』(フジテレビ)で香取慎吾さん扮する孫悟空の口癖として使われました(^^)

1986年には芸能人養成のために私塾「笑塾」を開きました。

のちに志村けんさんの付き人となるジョーダンズ・山崎まさやさん、桂米多朗さんらが在籍していました。

しかし1988年、八郎さんは自宅にて突然倒れ救急車で緊急搬送されたのです。

そしてそのまま意識が回復することなく急逝してしまうのです。

死因脳溢血(のういっけつ)と言われています。

享年52歳、あまりにも早すぎる急死に世間は衝撃を受けました。

妻・家族との関係

八郎さんの両親は仲が悪く、頼れる兄弟もいませんでした。

そのためか、家族が笑顔になれる家庭を作ろうという気持ちが人一倍強かったそうです。

子どもとのコミュニケーションを大切にして、一緒にお風呂に入るようにしていたそうです。

ただ一緒に入るわけではなく、入浴前にパンツ一丁で踊って子供たちを楽しませることも忘れませんでした。

テレビでも家庭でも笑いをとるだなんて、愉快なパパだったんですね(^^)

多忙だった八郎さんは、子どもと顔を合わすことなく家を出ることもしばしば。

そんな時は、家を出る前に手料理を作り、子ども達一人一人に宛てた手紙を置いて行ったそうです。

顔こそ合わせませんが、手紙でパパとつながっている感じがして寂しくないですね(^^)

しかし叱る時は一切の妥協をしませんでした。

たとえ真冬の雪の中であろうと、子どもが心の底から反省して「ごめんなさい」が言えるまでは何時間でも向き合ったのです。

きちんと謝ることが出来たら、「よく言えたね」と抱きしめ、一緒にお風呂に入るのです。

こうしたメリハリのある教育が、八郎さんの子育てスタイルだったようです。

素晴らしすぎます!

現在ご存命だったら、是非とも子育てについての講演会をしていただきたかった!

さらに子供だけでなく、妻・裕子さんに対しても思いやりを忘れませんでした。

東MAXさんが赤ちゃんの頃、夜泣きが大変ひどかったそうです(~o~)

それを八郎さんは裕子さんだけに任せずに、自ら率先して東MAXさんを1〜2時間おぶってあやしていたんですって(`o`)

芸能人は不規則な仕事、まして多忙の八郎さん 寝られる時は寝ていたいでしょうに…

オムツは替えても夜泣きは知らんぷりというエセイクメンが多い中で、八郎さんの行動はまさに真のイクメン

当時は「父親は仕事」という考えがある中で、積極的に子育てに参加していただなんて素晴らしいパパですね(^^)

死因とポン中?

”東八郎”と検索すると「ポン中」というキーワードが上位にありました。

その言葉の意味を調べてみますと、驚愕しました。

ポン”とは「ヒロポン」の略、””は「中毒」…つまりヒロポン中毒ですね。

ヒロポンとは商品名で、正式名称はメタンフェタミンです。

強い神経興奮作用をもたらします。

現在の日本では覚せい剤取締法により覚醒剤に指定されていますが、1950年までは合法だったのです。

昔は疲労回復夜間の眠気覚ましなどに使われていました。

さらに戦時中には、夜間戦闘機搭乗員などに支給されていたそうです。

国が公認していたのですね(@o@)

戦後の混乱期には、軍部がストックしていた「ヒロポン」が大量に流出して、闇で安価に販売されるようになります。

これで一般市民にも浸透して、普通に薬局で売られるようになります。

※当時のヒロポンの広告は⇨コチラ

疲労の防止にと、効果が書かれていますね(u_u)

そして他にも芸能人、文筆家、芸術家などアーティストの多くが「ヒロポン」におぼれました。

小説家では織田作之助氏坂口安吾氏常用が有名で、「ヒロポン」の登場する作品を残しています。

なんと国民的漫画『サザエさん』に、「ヒロポン」が摂取されているシーンが描かれています。

サザエさんの家に遊びに来た子供達が、誤ってヒロポンを飲んでしまい興奮してしまう…というエピソードです⇨コチラ

ダークすぎます。。。

それほど一般家庭になじみのある薬品(劇薬)だったのですね(~o~)

ビートたけしさんによると、東八郎さんもヒロポンを摂取していたと明かしています。

※ビートたけしさんの画像は⇨コチラ

八郎さんだけでなく、芸人ではミヤコ蝶々さん・三波伸介さんらも薬物に手を染めていたそうです。

最近では「かしまし娘」として一斉を風靡したタレントの正司歌江さんが、12歳から20歳過ぎまで覚醒剤漬けの日々を送っていたことを番組でカミングアウトしていました。

1951年の覚せい剤取締法執行まで「ヒロポン」は合法だったため、皆さん当たり前のように使用していたのでしょうね。

また、たけしさんがフランス座にいた頃は、ダンボールにアンプル(注射剤)山積みになっていたそうです。

皆これを使用してから舞台に上がっていたんですって(u_u)

これにはさすがのたけしさんもビックリしたそうです。

売れっ子芸人さんたちも、テンションや体力を持続するために使っていたのですね。

そんなことはつゆ知らず彼らのギャグに笑っていたとは…今思えば複雑です(u_u)

あくまでたけしさんの目撃談だけなので、八郎さんが果たしてポン中だったのかは断定できません。

東さんが急逝したのもヒロポンが関係しているのではと、憶測もありますが死人に口無し

真相は闇の中ですが、公式に発表された情報を信じましょう!

とにかく薬物は恐ろしく、安易に手を出してはいけないということは事実です。

遺産は?

お札でハンカチのように汗を拭うギャグを披露している東MAXさん。

そのおかげか(?!)実家がお金持ちというイメージですよね。

東八郎さんの残した遺産は莫大と言われていますが果たして本当なのでしょうか?

全盛期だった八郎さんの月給は、当時の公務員の6ヶ月分ほど稼いでいたと言われています。

若いころのビートたけしさんに、ご飯をおごったりしていたこともあるそうですよ♪

八郎さんのように大御所クラスになると、後輩におごらねば示しがつきませんから(^^;)

ちなみに、破天荒な役者で有名な勝新太郎さんは、数人で遊びに行ったはずが店をハシゴするうちに、いつの間にか何十人に膨れ上がり、その場を全ておごっていたそうです。

毎回、何百万円ものお金が消えたとか(><)

ミエをはらなきゃやっていけない世界なのでしょうね(^^;)

八郎さんもきっとたけしさんだけでなく、数々の後輩芸人らに気前良くしていたかもしれませんね(`o`)

土地や別荘なども持っていた八郎さん。

その資産額は億単位とも言われているのとか。

庶民の筆者には想像つかない金額ですね〜(><)

確固たる情報がないので断定はできませんが…。

八郎さんが亡くなった後は、東MAXさん含む兄弟3人で遺産を相続したということです。

志村けんを諭す

志村けんさんは子供からバカにされることに、内心憤慨していた時期があったそうです。

意外です!

ドリフで「志村うしろ!」と子供らから突っ込みが入るのもうっとおしかったのかしら?

そんな志村さん、『バカ殿』シリーズで共演していた八郎さんに

「東さんはその歳になっても、なぜバカな演技ができるのですか?」

と尋ねたところ、

「子供にバカにされるのは芸人として当然のことで、怒っても仕方がない。

分かる人は、演者がバカではないとちゃんと分かってくれている。

むしろ芸人が利口面をしたがったり、文化人ぶったりするようになったらおしまい」

と諭され、大いに感激したんですって(^o^)

それ以来、志村さんはことあるごとにこのエピソードを披露し、八郎さんに対する敬意を表しています。

最後に

大物芸能人って、家庭を顧みず破天荒…というイメージがありました。

八郎さんは違いましたね(^^)

家庭を大事にして、後輩にも思いやりを忘れない。

さらには後進育成のために私塾を作る…。

もっと長生きして、もっともっと活躍を見たかったですね。

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まだまだ出てくるウラ話!

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