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山中伸弥の娘!大学・家族うつ病・子供・関西医大・学歴・知佳・名言失敗画像

公開日: : 男性有名人(や行)

引用元:http://www.med.or.jp/nichinews/gif/n241020a.jpg

引用元:http://www.med.or.jp/nichinews/gif/n241020a.jpg

ノーベル賞・山中伸弥子供・娘大学関西医大?!家族学歴は?の名前は知佳画像はあるの?うつ病だった?!名言失敗とは?

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山中伸弥のWikipedia風プロフィールはこちら↓↓

本名:山中 伸弥(やまなか しんや)

出身地:大阪府枚岡市(現・東大阪市)

身長・体重:176cm・70kg(2007年当時)

誕生日:1962年9月4日

年齢:53歳

血液型:B型

学歴:大阪教育大学教育学部附属高校・神戸大学医学部・大阪市立大学大学院医学研究科

趣味:マラソン・音楽鑑賞・ギター・ベース・読書・ゲーム

(2015年10月現在)

2012年にノーベル賞受賞した山中伸弥さん!

一躍時の人となりましたね〜

あれからもう3年ですか(`o`)

そんな山中さん、2015年10月放送の『情熱大陸』(TBS)に登場します!

現在は科学者ではなくiPS細胞研究所の所長として、新しい道を歩み始めていました。

意外にもドキュメンタリー番組に出演するのは今回が初めてだそうです。

未だにiPS細胞の実用化に至っていない現状に、奮闘する山中さん。

必見ですね!

今回は山中さんについてレビューしたいと思います。

幼少の頃から天才?!

大阪府枚岡市(現・東大阪市)にて小学3年生まで過ごした山中少年。

その後は大学1回生まで奈良県奈良市に移り住みます。

山中さんは父・母・7歳上の姉との4人家族でした。

父・章三郎さんは工学部を出て、ミシンを作る町工場の経営者

自宅は工場も兼ねていて、物心がついたときには機械や設計図に囲まれていたといいます。

その影響か小学生の頃の山中さんは、しょっちゅうラジオや時計を開けて、中がどうなっているか見て分解していたそうです。

しかしなかなか元に戻せず、親からひどく怒られることも(^_^;)

神童”と呼ばれるにはほど遠かった山中少年でしたが、小学校6年になると頭角を現します

母・美奈子さんによると

「うちの工場の周囲には、ほかにも町工場がたくさんありましてん。

そんなせいで、算数や理科が好きで得意だったみたい。

でもどの科目もいつもほとんど満点に近く、トップクラスでしたね」

中学は、関西の名門校と呼ばれている中高一貫校の大阪教育大学附属天王子中学へ進学します。

親の希望ではなく、あくまで山中さん本人が決めたんですって(@_@)

両親とも工場の仕事で多忙だったため、特に教育熱心ではありませんでした。

塾にも通わせていないし、受験しろだなんて言ったことがなかったんですって(`o`)

しかし、身近にお手本となる人がいました(^^)

山中教授のお姉さんは、誰に言われなくても勉強するタイプでした。

それを見て、山中さん自身も勉強する習慣自然と身についたと思われます。

そして中学時代には生徒会副会長を務めました!

背も高くて、端正な顔立ちで女子からはモテていたそうですよ(^^)

ちなみに生徒会長は、自民党の世耕弘成議員だったんですって(@o@)

※世耕弘成議員の画像は⇨コチラ

今でも二人は親しくしているそうですよ☆

学生時代の山中さんを世耕議員は

彼は、 中学時代から成績優秀だったが、ガリ勉タイプでは全くなかった

学校に参考書を持ってくることもなく、人前で勉強しているところを見せることはあまりなかった

塾や予備校にも行っていなかった

昼休みになれば、グラウンドに出て遊び、放課後は日が暮れるまで柔道の練習に精を出す。

練習が終わったら、近所のお好み焼き屋で空腹を満たす。

そんなタイプの生活だった。

それでいて、テストになると学年トップの成績をたたき出す。

家に帰ってから黙々と勉強していたのだろう。

本当に優秀な友人であった。

でも堅苦しいところはない

勉強するそぶりを見せずに、成績はトップだなんてずる〜い(^_^;)

役員を務めるかたわら、『かぐや姫』のコピーバンド『枯山水』を組んで、ギターとボーカルを担当

勉強漬けの毎日かと思いきや、青春を謳歌していますね☆

高校生の時に、父から医師になることを勧められたものの、踏ん切りがつきませんでした。

そんな時、徳田虎雄(徳洲会理事長)さんの著書『生命だけは平等だ』を読み、徳田さんの生き方に感銘を受けて医師になることを決意したそうです。

父の勧めどおり、高校を卒業した山中さんは神戸大学医学部に進学します。

そして意外なことに山中さんは学生時代からスポーツマンでした☆

中学高校から大学2年まで柔道、大学3年からはラグビーに励み、高校時代に柔道二段を取得しています。

黒帯ですか〜(`o`)

大学入学後に本格的に始めることとなるラグビーにも、実は高校時代から親しんでいました(@o@)

ただ山中さん、骨折を10回ほどしてしまうなど、少し鈍臭い一面もありました(^^;)

「しょっちゅう怪我をして、学校に救急車が来たら

また山中か

と言われていました(笑)。

どこか抜けているところがあって、嫌味がない

それがみんなに好かれる理由だったのかもしれません」(同級生談)

これでスポーツも完璧だったらちょっと妬ましいですよね(^へ^)

人間抜けているとこは絶対あるんです、完璧な人なんていやしませんよ〜

こうして怪我続きの中・高時代を過ごした山中さんは、やがて整形外科を志望するようになるのです。

医師を諦めて研究者に

神戸大学卒業後、国立大阪病院整形外科臨床研修医として勤務します。

整形外科の道を選んだ山中さんでしたが、他の医者と比べて技術面において不器用だったそうです。

少年時代に機械を分解していたのに、それは生かされなかった?!

指導医からは時に罵倒されることもあり、「向いていない」と痛感したといいます。

通常ならば20分で終わる簡単な手術なのに、手がうまく動かず、1時間も2時間もかかってしまったことも(><)

ついたあだ名が、”山中”に引っ掛けて「ジャマナカ」というのは、有名な話です(^^;)

一度選んだ整形外科医という道に、違和感を抱く日々を過ごしていた山中さん。

その一方で、実験で既存の理論では説明できない不思議な結果が出ると、今まで感じたことのない興奮を覚えます。  

「自分は外科医よりも、研究者の方が向いているかもしれない」  

そう考えるようになるんです。

そして病院を退職して、1989年に大阪市立大学大学院に入学をします。

薬理学教室で研究の基本を学び、基礎研究の魅力に目覚め、実験に没頭しました。

大学院修了後は、米サンフランシスコグラッドストーン研究所留学

マウスのES細胞(胚性幹細胞)の研究に打ち込みました。

妻も医者?

山中さんが中学生の時、生涯の伴侶知佳さんと出会います。

※知佳さんの画像は⇨コチラ

は大阪市内に個人病院開業している医師でした。

知佳さんは英語の達人と言われ、中学の時には英語クラブの部長を務めていました。

全国英語弁論大会大阪代表で出場しています。

才女の匂いがプンプンするぜー!

中学2年の時に山中さんと同じクラスとなり、出席番号が近かったお二人さん♪

(『』行で男子の最後、次が女子のいちばん最初の『』行の今村さん(知佳さんの旧姓))

そのおかげで親しくなり、再び高校1年に同じクラスになります。

遠うやらその時にお付き合いを始めたと言われています。

高校3年の修学旅行エピソードがありました。

自由行動の後、山中さんと知佳さんが集合時間に遅れふたり揃ってバスに乗ってきたのだ。

「ヒュー、ヒュー」と冷やかす同級生たちに、山中さんは「みんな、すまん」と照れていたという。

ぬけがけしてるんだ〜い(*^^*)

当時、担任だった河野文男先生によると

 「見ていて微笑ましいカップルでした」

お熱いねえ〜若いっていいな♪

こうして二人は付き合いを重ね、大学卒業後の研修医時代の1987年に結婚しました☆

苦楽を共にしてきたんですね(><)

そんな知佳さんは、 関西医科大学を卒業して皮膚科の先生をしています。

大阪回生病院の勤務医を経て、現在は大阪市にあるウヤマ・イマムラ医院で働いているという噂があります。

イマムラ(今村)は知佳さんの旧姓

もしかしたら父の病院の跡を継いだのかもしれませんね(^^)

帰国後うつに!

アメリカへは知佳さんと二人の子供を連れて行った山中さん。

長女小学校に入る年齢になった頃、子どもの教育をそのままアメリカで続けるか日本に帰って日本の小学校に入れるかという決断を迫られます。

妻・知佳さんは日本で受けさせたいと切望します。

しかし、山中さんは帰国できない状況

このままでは離れ離れになってしまう!

家族と離れたくない気持ちが大きかった山中さん。

しかし、子どもの将来のことを第一に考えて、家族がアメリカを去るのを認めるのです。

苦渋の決断です(><)

そして山中さん単身生活のスタートです!

これで研究に没頭できる環境となりました。

他にやることがないので、朝から晩までほとんど研究室に泊まって、ずっと実験の日々を送ります。

おかげで研究はどんどん進みました♪

しかし、

やっぱり家族というのは、いるとありがたさがわからないんですけど、いなくなると水と一緒でこれはちょっと大変やなと、半年くらいでだいぶ寂しくなってきて。

寂しさは募るばかり。

妻子が日本に帰ったことで、ここぞとばかりボスの秘書からは頻繁にデートの誘いを受けます。

危ない予感!

何と!その秘書は男性でした(爆)

ますます危ない予感(^q^)

留学先のサンフランシスコはゲイが多くて有名な地域でした(^^;)

次第に身の危険を感じ(?)怖くなってしまった山中さん。

半年くらいで日本に帰ることにしたのです。

帰国してみると、いかにアメリカの研究環境が良かったかを思い知らされます。

実験体となるネズミの世話は、アメリカでは担当の人がいました。

しかし、日本では世話してくれる人はおらず、山中さん自らしなければならないのでした(~o~)

ネズミも初めは3匹ですが、次第に増えていき、しまいには500匹になってしまいます。

こわい!

ハーメルンの笛吹きでどっかに連れて行ってよ〜!

ネズミのフンまみれになりながら自分で世話をする日々。

自分は研究者なのかネズミの掃除係なのか分からないというような状況になってしまいます。

すぐに役立つ薬の研究をしなかった山中さんに、周囲に批判され理解を得られない毎日が続きます。

山中さん自身も次第にこのままでいいのかと苦悩するようになります。

そうして朝起きれない、学校に行きたくないとなって、半ばうつ状態になってしまいます。

研究者を辞める一歩手前にまで陥るのです(><)

そんなある日、研究職を辞めるきっかけのために、奈良先端科学技術大学院大学の公募に半ばやけくそで応募します。

ところがどっこい見事採用

アメリカ時代と似た研究環境の中で再び基礎研究を再開するのです。

そしてiPS細胞の開発に成功して、2004年に京都大学に移ります。

現在は、京都大学iPS細胞研究所所長・教授を務めています。

娘も医者を目指している!

知佳さんとの間に2人の娘がいます。

名前については残念ながら分かりませんでした。

あくまで一般人ですからそっとしておいてってことなのでしょうね。

世耕議員のブログによると、二人とも天王寺中学を卒業していることは確かなようです。

そして今は医学生として夫婦と同じ医師の道を歩んでいます。

肝心の大学はどこでしょうか?

ネット上では知佳さんの母校・関西医科大学が有力のようです。

しかし確固たる情報もないので断定はできませんが…(^^;)

蛙の子は蛙!

いやはやすごい家系ですね〜。

いつか娘さんたちもリケジョとして活躍するのかなあ(^_^)

最後に

山中さんの名言

9回失敗しないと なかなか1回の成功はやってこない。

日本のことわざに「七転び八起き」がありますね。

7回転んでも(失敗しても)起き上がって前を向く人が成功するという意味です。

生涯で1300を超える発明を成し遂げた、エジソンの名言には

「失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を700通り見つけただけだ」

「成功するのに最も確実な方法は、常にもう1回だけ試してみることだ」

とも。

山中さんもエジソンも、初めっから成功なんてありえない。

諦めずに粘り強く続けることが大事だと言いたいのでしょうね(^o^)

会見で

泣きたくなる・辞めたくなることの連続だった20年の研究生活を、家族がいつも笑顔で支えてくれた」

と家族への感謝を口にした山中さん。

継続していくことは、周りのサポートと理解が必要です。

山中さんは家族に支えられて今日があるのでしょう(^^)

ノーベル賞はあくまで通過点の一つ。

これからも変わらず研究を続けていく山中さん。

難病に苦しんでいる人のために、iPS細胞が1日でも早く実用化されることを願っています。

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