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小林節子に兄!?徹子の部屋・画像・父・爆報フライデー・ブログ・現在・結婚・cup

公開日: : 女性有名人(か行)

引用元:http://www.keizopro.com/_src/sc1464/setsuko20kobayashi20DSC_0658.JPG

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レディス4司会者・小林節子現在爆報フライデー徹子の部屋に出演?画像はある?!結婚しているの?cup・ブログ

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小林節子のカップなどのWikipedia風プロフィールはこちら↓↓

本名:小林 節子(こばやし せつこ)

出身地:神奈川県横浜市

身長・体重:158cm・49kg

誕生日:1945年3月17日

年齢:70歳

血液型:A型

カップ:A〜Bカップ(推定)

高校・大学:横浜共立学園高校・慶應義塾大学 英米文学科

職業:フリーアナウンサー

事務所:圭三プロダクション(客員として所属)

(2015年9月現在)

今回取り上げるのはフリーアナウンサーの小林節子さんです。

1968年に慶應義塾大学卒業後、フジテレビに入社します。

同期逸見政孝さん(1945~1993)と松倉悦郎(1946~)さんがいらっしゃいます。

今は亡き逸見さん・・・。

もしご健在でしたら小林さんと同じ70歳を迎えていたはずです。

いったいどんな名司会者になっていたのでしょうか?

松倉さんは、現在姫路にてお寺の住職をしています(^^)

松倉さんは小林さんのことを”お節”と呼ぶほど親しく、今でも連絡を取り合っているそうですよ☆

同期っていいですよね〜(^^)

6年間フジテレビにて勤務した後、フリーに転身した小林さん。

そして、彼女の代表番組といって過言ではない情報番組『レディス4』(テレビ東京)の司会を、1984年から約20年間担当しました。

『レディス4』は月〜金曜日の夕方に放送されたマダム向けの情報番組。

落ち着いた雰囲気で司会をこなす小林さんの姿は筆者の憧れでした。

小林さんが降板してからも、この番組は2012年まで続きました。

テレビ東京が誇る長寿番組のひとつでしたね(^_^)

その後、小林さんは長野県諏訪郡原村(はらむら)移住します。

現在は、高齢の両親との同居で得た体験を語る講演活動をこなしている小林さん。

2014年には『徹子の部屋』(TBS)に出演し、両親の介護について語りました。

2015年9月に放送される『爆報!THEフライデー』では、小林さんの現在に密着するそうですよ。

これは必見ですね!

両親の介護について

レディス4』の司会として多忙を極めていた1997年、横浜で暮らしていた両親異変が起きます。

母・文代さん料理をしなくなり、コンビニでおにぎりやおかずを買って済ませるようになったのです。

家の中は掃除が行き届かなくなり、庭の草も伸び放題のぼうぼうと荒れ果ててしまいます

父・慎一さんは、一日中居間に座ってテレビを見ているばかりで、全く動かなくなってしまいました

小林さんは東京にマンションを借りて、週末だけ実家に戻る生活をしていましたが限界を感じます。

1999年に実家の家を処分して、東京に両親を呼び寄せます

しかしこの転居が、母の状態をますます不安定にしてしまうのです。

水を出しっぱなしにするわ、野菜を全て凍らせてしまったりしてしまう母。

長年住んでいた自宅を引き払ったことで、自分の全てがなくなったように感じたのでしょうか(><)

仕事から疲れて帰ってきた小林さんは苛立ちが募り、時には母とバトルすることもありました。

認知症診断された母をデイサービスに預けようとしても、本人に頑なに拒まれてしまいます

高齢だった要介護認定を受け、仕事の都合で両親をショートステイに預けたくても、2人一緒に預かってくれるところがありませんでした

この時期が一番小林さんにとって辛かったそうです。

生活のために仕事をやめるわけにもいかず、かといって介護もしなければならずの板挟み状態だったんですね

長野県原村に移住

その頃、長野県原村にペンションを購入した小林さん。

3人で将来は田舎に住みたいと話していた夢への第一歩でした。

原村を選んだ理由の一つに、まず自然が素晴らしいこと

高原野菜花の栽培が盛んなんですって。

そして空気がとても乾燥していて、しばらく留守にしても布団は干さなくても大丈夫なほどだそうです。

別荘ではなく、ペンションを選択したのにも理由があって、別荘地帯では人が集うことはいけないこととなっているそうです。

自然の中で人が集うことが大好きだった小林さんは、30人分のベットと什器が揃った居抜きのペンションが売りに出ていたのを見つけて、全財産をはたいて購入したそうです。

ちなみに小林さん、ペンションを経営しているわけではありませんので悪しからず(^_^;)

月に2〜3回、両親を原村に連れて行くと、次第にイキイキするようになります。

田舎の空気が合っていたんですね(^^)

原村でできた友人や東京から遊びに来た友人たちが遊びに来てくれるようになって、小林さんの周りには人が集まるようになります。

ペンションだったこともあって部屋数は多く、リビングも広いので問題なさそうですね(`o`)

小林さん自身にも変化が訪れます。

介護が始まった当初は、認知症の母を人目にさらしたくなく、他人の助けを借りることに抵抗を感じていました。

ところが、原村で常に誰かが出入りして合宿所みたいな生活を送るうちに、それが気にならなくなり、素直に第三者の助けを求めることができるようになったんです。

介護と育児は1人でするなとよく言われますが、まさにその通りですね。

2000年には、ペンション隣に「輪の舎・リングリンクホール」を設立して、コンサートや講演などの企画・運営を行います。

こけら落としには、永六輔さんが駆けつけたそうですよ(^^)

※永六輔さんの画像は⇨コチラ

2004年、『レディス4』の仕事が終わり、ひと段落した小林さん。

2006年に東京の家を引き払って、原村へ両親とともに移住します。

ペンションを自宅にしたんですね(^o^)

母の認知症も落ち着きを見せたところ、ショートステイ先で転倒して骨折をしてしまいます。

車椅子生活を余儀なくされ、トイレの介助も必要な状態に陥ります。

両親二人のトイレに小林さん1人で付き添うのには限界があり、2007年に母を横浜市内の特養ホームに入居させます。

そのうち、父の食欲が減り、ついには何も食べなくなってしまいます。

延命治療はせずに、看護師さんと話し合いながら自宅看護を貫いたそうです。

そして2008年に自宅で静かに生涯を終えたそうです。

100歳の大往生でした。

その後は、月に4回は母のいる施設に通う日々を過ごす小林さん。

しかし母は、軽い脳梗塞を患い入院してしまいます。

ちなみに小林さんには血を分けた兄・重夫さんがいました。

当初は両親の介護を引き受けてくれたそうですが、大変だったようで2年で小林さんの元に戻ったこともあるそうです。

兄には妻子がいたため、同居・介護するにあたっていろいろ難しいことも出てきたのでしょう。

ペンション・ホールの修繕ペンキ塗りを手伝ってくれたりと頼もしいお兄さんだったようです。

ところが2014年の2月に、肝臓がん末期の余命2ヶ月を宣告されてしまうのです。

母の病院と兄の病院とさらに原村を行ったり来たりする小林さん。

そして2014年3月9日に母・文代さんは天国へ旅立ちました

享年98歳。

小林さんは自身のブログで、母の訃報を伝えるとともに心境を語りました。

あまりに穏やかで、静かな引き際の良さに、のこされた娘は、まだ実感がわきません。
お茶目な母が選んだ旅立ちの日は、3月9日・「サンキュー」
やったね、母さんとつぶやきながら、皆さまに心から、母の代わりに。
「ありがとうございました。お世話になりました」

そして後を追うように同月、兄・重夫さんも旅立ちます

享年73歳。

重夫さんの息子さんの意向により、母の死は知らされないまま息を引き取りました。

眠ってる兄のそばで、看護師さんと兄の奥様は小さな声で、母が亡くなったことを伝えなかったことを話します。

その時、亡くなっているはずの兄の目が開いて、表情が穏やかに・・微笑んだように変わったそうです。

これに小林さんは

「人生劇場」大好きな早稲田マンは、「親より先に往く不孝」を、自分で許せなかったのでは

と妹の立場で解釈しています。

こんな不思議なことってあるんですね!

結婚してる?

結婚経験はない小林さん。

母からは、働く女性になるように結婚を促されたことはないそうです。

珍しいですね(`o`)

今まで仕事プラス両親の介護で自分のことは後回しで、結婚どころではなかったのでしょう。

明るく社交的な小林さん、ボーイフレンドの一人や二人いてもおかしくないですけどね♪

最後に

壮絶な介護を体験して、ついには身寄りをなくし、1人となった小林さん。

介護っていつかは自分の身に降りかかることで、決して他人事ではありません。

小林さんにはこれからも介護のエピソードをどんどん発信していただきたいですね。

現在は、家族や友人とともに慣れ親しんだ原村の自宅とホールを売却したと言われています。

詳細については『爆報フライデー』で明かされることでしょう。

余計なお世話かもしれませんが、そろそろ女性としての幸せを掴んでいただきたいなと思ってしまいます。

小林さんの第二の人生に幸あれ!

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まだまだ出てくるウラ話!

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